◆ありんくりんコラム
★2014年6月23日慰霊の日、ゲットウを食べるアオスジアゲハで思う事。
私はブログやフェイスブックにも参加しています。ブログやフェイスブックは毎日の書き込みなどで写真をアップしても、後々、いつの写真だったか?というようになるので、このホームページは私にとっての大切な覚え書き手段となっています。
フェイスブックでは蝶愛好家が主な友人です。ただ、最近どうしても「いいね」ボタンを押せない話題が目につくようになって、次第に遠ざかりつつあります。
それは、ズバリ放蝶の話題です。関東のアカボシゴマダラや名古屋のムシャクロツバメシジミなどの話は論外。島嶼や迷蝶の記録、蝶の分布や年度ごとの消長を長年にわたって注視している人たちにとって、こういった放蝶は目障りで許しがたい行為です。分布調査の妨げ、記録の信頼性をゆるがすことにもなりかねません。
保護の為に飼育して放蝶しているという保護活動の話題、子供達が放蝶する姿の紹介。純粋に守ってあげたいを前面にだした美談なのですが、私には素直に「いいね」を押す事ができずにいます。それは根本的な問題解決に目を背け過ぎではないかと考え込んでしまうからです。また、放蝶された蝶の立場で考えると、劣悪環境の現在に放された蝶こそ、いい迷惑な話ではないでしょうか。そればかりか、室内で大事に大事に飼育された個体、自然界では淘汰されるべき弱い遺伝子も持った個体もあるでしょう。同じ産地だからと言って元の産地へわざわざ放蝶する行為は、劣悪環境の中でも逞しく細々と命を繋いで来ているその種に決して良い事ではありません。遺伝子の撹乱行為ではないでしょうか。環境適応の為に必死に進化過程途中であるその種に、数のすりあわせとって付けるかのようにバラまいた弱い遺伝子を持つ飼育放蝶個体。私はこういった人間の思い上がった自分勝手なおせっかいな行動こそ問題があるのではと思うのであります。
根本的な問題、人間の繁栄のみを優先してこの地球温暖化などの劣悪環境へ導いたことを反省すべきで、そういった急速な環境悪化を食い止める努力こそが、真の愛好家といえるのではないでしょうか?。
また、目先の1種に絞った加護な保護はバランスの欠いたものになりかねません。自然の生き物は繋がりあって成り立っています。もっと広い繋がりまで考えなければなりません。なお、逆に最近のアカシジミの爆発的な発生など、私たちに自然の異変をいち早く警告しているのではないでしょうか。ただ1種がこれほどまでに繁栄する事は何かバランスを崩しているのかもしれません。
アオスジアゲハが3年連続ゲットウを食べ事を目撃して、必死に繁栄して行こうとする姿に私はただただ、感動するばかりです。自然の営みを注意深く見つめ、耳を傾け、小さなシグナルに気づきを得る為にも人為的で身勝手な放蝶はすべきではないと思っています。放蝶は小さなシグナルの気づきに目隠しをするような行為です。
最後に、2014年6月23日慰霊の日に思う事。うちの旦那(新田智)は言います。「全く日本人は戦好きだ。武器を持たない平和的な琉球の王様を無理矢理、薩摩が攻め入って内地に連れて行ったとか。日本国の政治家が招いた先の大戦で沖縄は地上戦となり火炎放射機で焼き払われた。戦争経験者のお年寄りから聞いた話では人道的には日本軍の方(日本軍人は沖縄の人を見下していた)がずっと悪かった、アメリカの方がずっと優しかったとか。そして日本国の政治家せいで今もなお基地が居座っている」と。そんな話を聞くと何も言えなくなります。やった当事者は忘れ去っても、やられた方は忘れる事はなく後世まで伝えていくものです。
仲井真知事が辺野古沖の承認をする前日に安部総理が靖国神社参拝しました。安部総理は何を祈ったのでしょう。そろそろ辺野古沖承認も下りそうだと舌をだしていたのでしょうか?。私がもし知事だったら、その行為を盾に承認をしないと喚いたでしょう。先の大戦での悲惨を招いた張本人の日本国の当時の政治家、それを奉った靖国へなぜこのタイミングで参拝したのかと。この大戦で沖縄がどんな目にあわされたのか、そして今なお基地で縛るとは何事かと憤慨して断固承認しないと言うでしょう。それをやってくれなかった、仲井真さんには正直、タイミングを逸したとガッカリしました。
辺野古の海、政治と金(国民の税金で飯を食っている政治家が「しょせん金目でしょ」などと軽々しく発言するな!)。何も見ない、何も聞かない、このまま沖縄に押し付けておこうと、無関心な国民が、大切な一つの財産(ジュゴンの海)を潰してしまうのかと悲しくなります。国が決めたプロジェクト、有明の海も元には戻りません。破壊する前に何とか阻止できたらいいのに。慰霊の日に思う事、願う事。
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